広島南部教会はフレーザー幼稚園の旧設置者であり、学校法人格を取得した後も、現在まで深い繋がりがあります。
1896年
広島女学院の前身である広島女学校付属「第二幼稚園」が三川町に開設される。当初は無料で困窮家庭の幼児を受け入れ、女学校で幼稚園教諭を目指す学生の実習先として機能していた。
その後、米国の篤志家フレーザー氏から寄付があり、同地にフレーザー英語学校が設立され、第二幼稚園もこの施設内に置かれ「フレーザー幼稚園」と改称された。
1929年
両学校は国秦寺町へ移転し、ここにメソジスト広島中央教会(現 広島流川教会)の初代会堂を移築して、メソジスト広島南部教会が設立された。幼稚園も教会付属の施設となった。戦時中は敵性語である「フレーザー」の呼称を外すことを余儀なくされ、「愛美幼稚園(あいびようちえん)」と称することになった。
1945年
8月6日、原子爆弾により被曝・施設は全壊し、園児や教職員にも大きな被害が発生。休園を余儀なくされる。
1951年
11月19日広島南部教会は南区宇品に土地を得て再建を果たし、幼稚園は1953年4月11日より保育を再開した。英語学校はその後暫くして活動を取り止めるが、幼稚園は地域に根ざした働きとなり、1982年には学校法人格を取得した。1996年には創立100周年を迎えた。
「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。」
ローマの信徒への手紙12章15節
フレーザー幼稚園は「自由保育」の姿勢を大切にしています。また上記の御言葉をモットーに、子ども達が神の愛を存分に受け取り、自他のあり方を受け入れながら生きることを目指しています。
お子さんやお孫さんの入園先をお探しの方は、ぜひ一度見学にお越しください。